坂本箕山 著, 味岡源太郎 著『神谷傳兵衛』

2023/2/1
一読済。電気ブラン 等の洋酒を製造販売した明治大正期の大実業家、現・合同酒精株式会社の創業者である “神谷傳兵衛” の生涯と資料が収録された偉人伝。
洋酒の製造販売だけでなく、当時の日本実業界への多大な貢献が読み取れ大変興味深い🍷🙏😌📖
以下参考・抜粋:
P.1
「神谷伝兵衛」この名前を聞いて、どのくらいの人がすぐに頭に思い浮かぶでしょうか。
江戸末期、三河の生まれで明治時代に日本初の本格ワインやアルコールの製造の他、数多くの日本を代表する企業の創設や経営を行い多くの財を築いた人物だとおそらくよく知らない人が多いのではないでしょうか。
P.2
合同酒精株式会社は三河の国一色町(今の愛知県西尾市一色町)出身の神谷傳兵衛が創設した会社です。
明治13年、この浅草に神谷傳兵衛が『みかはや銘酒店』、のちの『神谷バー』を創りました。
合同酒精株式会社|オエノングループ
オエノングループ
神谷バー – Wikipedia
牛久シャトー – Wikipedia
P.3
“質素にして、功労を誇らず、功績や寄付などその徳を口にしない”
P.14
洋酒を醸造し、酒精を製造し、経営に励むこと五十年。すでに十分に宿願を達成し、さらに海外へ輸出し、納税は一千万金を超える。国を富ませた功績は隠しようもない。翁は三河人であると聞く。もし、翁が戦国時代の天正・元和の頃に生まれていたなら、戦功を立て、名を揚げ、徳川氏の有力な家臣となったであろう。今の平和な時に生まれ、戦場で馬を駆ることはできないが、殖産興業で一代の模範となった。いわゆる「富は屋を潤し、徳は身を潤す」というべき人である。後世にこの伝記を読む人は、国に報いるため、志を立てるべきである。
P.15
広く葡萄を植え、美酒を醸造し、甕を連ねて芳春を貯える。将来、司馬遷のような人が富豪の列伝を編述したら、この人のことを収めるであろう。
杉谷六橋 :: 東文研アーカイブデータベース
司馬遷 – Wikipedia
P.16
「克己精励」(こっきせいれい)
己に打ち勝ち、精を出して励む。
自分自身に勝つとか、己に勝つ、とか自分に負けないみたいな四字熟語.. – Yahoo!知恵袋
P.17
「至誠貫天」(しせいかんてん)
真心をもって事に当たればいつかは認められる。同義語「至誠通天」
P.22-23
[訳] 誠とは天の道である。努力によって誠にしようとするのが人の道である。天性の誠は努力することなく道にあたり、意識することなく道を得て、苦労せずして道にあたる。これができるのは聖人である。誠となる者は善を選び、これに固執する者である。『中庸』第十一章より。
渋沢栄一 – Wikipedia
中庸 – Wikipedia
P.29
「味敵五雲漿」(あじごうんしょうにてきす)
[訳] 神谷翁のワインの味は、五色の雲から降る漿(美味しい飲み物)に匹敵する。
P.70
“蜂印香竄葡萄酒”
香竄葡萄酒と電気ブランのはなし|オエノングループ
香竄葡萄酒 720ml | 牛久シャトー ショップ
Amazon.co.jp: 香竄葡萄酒 (こうざんぶどうしゅ) 720ml : 食品・飲料・お酒
P.183
『受くるよりは與ふるは幸福なり』とは西哲の教訓である、が、世の多くの人は、與ふるよりは受くる事を以て幸福とする。受くる事の自己に幸福なるが如く、他も受くる事を幸福とすれば、己の欲するところを他にせば、施されたる人が、幸福を喜ぶと共に、己も心中、言い難き愉快を覺ゆるものである。
「与えるは受けるより幸いなり」(あたえるはうけるよりさいわいなり)の意味
P.188
神谷が『極樂は眞實(ほんと)にあるか』と問えば、穆山は『坊主にそんな事を問うものがあるか』と云ふ、神谷は煙草を吸ひながら、『此の煙のやうなものでしやう』と云へば、穆山はウフフと笑ひ、『マアそんなものぢや』と云ひ、旋がてグウグウと寝入つた。
P.194
十二歳の時、縁側から墜ちて、足に針を踏み貫いたのが、其のまゝ取れず、四十二ヵ年間、體内に在り、巡り巡りて胸部に至り、遂に医師の手術により脱出するを得たので、是迄屡々體の各部に故障が起り、苦痛を覺えた理由が明瞭となつた。
P.198
『俺ァも酒造家になり、大名生活をして見たい』
P.199
伊東元帥が『神谷君、君は随分金持ちになつたやうぢやが、何うしたら金は儲かりますか』と問うた。神谷は之に答へて、『慾がないと儲かります』と云ふ。伊藤は怪しみて又、『何故慾がないと儲かるのですか』と問ふので、神谷は更に細論に入り、『事業をなすに、儲けたいと云ふ慾があれば、心配で資本が投ぜられません、儲かるか儲からぬか判らぬが、是は善い事業、此の品は有益な品と認め、是非共この事業を成功せしめねばならぬと云ふ意で、最初は捨てる氣で資本を投じます。而して其の事業に全力を注いで精励しますれば、事業が次第に盛んとなり、利益は求めないでも自ら収められます、慾があっては事業家になれません』と云ふた。
P.201
『靈龜盃』(れいきはい)
此の盃は、徳川家康が陣中に携へ歩いて、戦に勝つ毎に、酒を盛りて将卒と共に戦捷を祝ふたる、世に出世盃と稱へらるゝものである。
P.273
『ハチブドー酒』のルーツは『蜂印香竄葡萄酒』です。
明治13年(1880)、初代神谷傳兵衛は、東京浅草でにごり酒などの一杯売りをする「みかはや酒店」を創業しました。(これは、東京での「はかり売り」の元祖と言われています。)
蜂印香竄葡萄酒|日本ワイン140年史 ~国産ブドウで醸造する和文化の結晶~
ハチブドー酒 赤 550ml | 牛久シャトー ショップ
ハチブドー酒 赤|甘味果実酒|オエノングループ
「電気ブラン」(発売当初は “電氣ブランデー” といいました。)は、明治26年(1893)頃、初代神谷傳兵衛によって誕生しました。もともと薬用として売られていた輸入ブランデーに、日本人の口に合う様、改良を加えたものです。
電気ブラン – Wikipedia
デンキブランとは | 神谷バー
電気ブラン|オエノングループ
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P.310-311
第八十五回独立展「神谷傳兵衛さんに乾杯!」斎藤吾郎 二〇一七年制作 二〇一八年加筆
複製画「神谷傳兵衛さんに乾杯!」 | ORIGINAL ITEM | 【公式】斎藤吾朗アトリエ/オフィシャルサイト
【公式】斎藤吾朗アトリエ/オフィシャルサイト
PROFILE | 【公式】斎藤吾朗アトリエ/オフィシャルサイト
神谷傳兵衛の足跡 | 歴史を知る | 牛久シャトー公式サイト
神谷バーの原点 ワイン王の夢、後世へ 再生!牛久シャトー:東京新聞 TOKYO Web
味岡源太郎 著『神谷傳兵衛』https://amzn.to/3kTjTMr
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